※本稿は学術的考察であり、特定の動物愛護団体や活動を推奨するものではありません。
1. Pearlという名前の由来
Pearl Soapの「Pearl」は、トキストレージ代表・佐藤卓也の愛犬の名前である。
2007年から家族の一員として暮らしたPearlは、2025年にこの世を去った。Pearlの喉骨を貝殻に入れ、四つ葉のクローバーと娘が拾った花びらを添え、エポキシ樹脂で封入して作った「持ち運べるお墓」——それがトキストレージの原点であり、Pearl Soapの名の由来である。
肉球の形をした石鹸に込められているのは、「いてくれてありがとう」という想いである。この言葉は、人間に対してだけでなく、共に暮らした動物に対しても向けられている。
Pearl Soapは、一匹の犬の存在証明から生まれた。愛犬への感謝を形にしたいという個人的な想いが、「存在証明の民主化」という社会的なミッションへと展開していった。
2. 動物愛護の思想史——「彼らも苦しむ」
動物愛護の思想は、近代哲学とともに発展してきた。
ベンサムの問いかけ
功利主義の祖ジェレミー・ベンサムは、1789年の著作で動物の道徳的地位について言及した。
「問題は、彼らが理性的に考えられるかでも、話せるかでもない。彼らが苦しむことができるか、である。」
——ジェレミー・ベンサム『道徳および立法の原理序説』(1789年)
この問いかけは、動物の権利に関する議論の出発点となった。苦痛を感じる能力(sentience)こそが道徳的配慮の根拠であるという主張は、今日の動物愛護法の基盤となっている。
シンガーの「動物の解放」
1975年、哲学者ピーター・シンガーは『動物の解放』を発表し、種差別(speciesism)という概念を提唱した。人種差別や性差別と同様に、種が異なるという理由だけで苦痛を軽視することは倫理的に正当化されない、と論じた。
シンガーの議論は、動物を「所有物」ではなく「道徳的配慮の対象」として捉える転換をもたらした。
レーガンの「動物の権利」
トム・レーガンは、功利主義とは異なるアプローチで動物の権利を論じた。彼は、動物が「生の主体(subject-of-a-life)」であること——すなわち、信念、欲求、知覚、記憶、感情を持つ存在であること——を根拠に、固有の価値(inherent value)を持つと主張した。
レーガンの「生の主体」という概念は、動物にも存在証明があるという考えを支持する。動物は単なる物体ではなく、「生きている」という事実そのものに価値がある存在なのである。
3. 人間と動物の共生——コンパニオンアニマルの時代
現代社会において、ペットは「愛玩動物」から「コンパニオンアニマル(伴侶動物)」へと再定義されつつある。
家族としてのペット
一般社団法人ペットフード協会の調査(2024年)によれば、日本国内の犬の飼育頭数は約684万頭、猫は約907万頭である。そして飼い主の多くが、ペットを「家族の一員」と認識している。
家族として認識されるということは、その存在が「かけがえのないもの」として扱われるということである。代替不可能な存在——それはまさに存在証明の対象となる。
人間動物関係学(アンスロズーオロジー)の視点
人間動物関係学は、人間と動物の相互作用を学際的に研究する分野である。この分野の研究は、ペットとの関係が人間の身体的・心理的健康に多大な影響を与えることを示している。
- オキシトシンの分泌:犬と飼い主が見つめ合うと、双方のオキシトシン(愛着ホルモン)レベルが上昇する(Nagasawa et al., 2015)
- ストレス軽減:ペットとの触れ合いはコルチゾール(ストレスホルモン)を低下させる
- 社会的つながり:犬の散歩は近隣住民との交流機会を増やす
- 孤独感の緩和:一人暮らしの高齢者にとって、ペットは重要な社会的存在となる
これらの研究は、動物が人間にとって単なる「飼い物」ではなく、存在そのものが人間の生に意味を与える「共生者」であることを示している。
4. ペットロスと存在の喪失
動物の存在が人間にとってかけがえのないものであるならば、その喪失もまた深い悲嘆をもたらす。
公認されない悲嘆
ケネス・ドカは「公認されない悲嘆(disenfranchised grief)」という概念を提唱した。ペットロスは、社会的に「悲しんでよい」と認められにくい喪失である。「たかがペット」「また飼えばいい」——そのような言葉が、悲嘆を抱える人をさらに孤立させる。
しかし、愛する存在を失った悲しみに「正当な悲しみ」も「不当な悲しみ」もない。ペットロスの深さは、その動物との関係の深さそのものを反映している。
記録と記憶の問題
人間が亡くなった場合、戸籍、墓石、位牌、写真、遺品など、その存在を記録する社会的な仕組みが存在する。しかし、動物にはそのような仕組みがほとんどない。
ペットの死後に残るのは、写真と飼い主の記憶くらいである。その記憶も、飼い主が亡くなれば消えてしまう。動物の存在は、人間以上に「忘れられやすい」のである。
ペットロスは、存在証明の不在がもたらす問題でもある。動物の存在を記録し継承する仕組みがないことが、悲嘆からの回復を困難にしている可能性がある。
5. 肉球という形状の意味
Pearl Soapが肉球の形をしていることには、複数の意味がある。
身体の痕跡としての肉球
肉球は、動物の身体の中でも特に「触れる」部位である。犬や猫の肉球に触れた経験のある人は、その独特の柔らかさと温もりを覚えているだろう。
肉球の形をした石鹸を手に取るとき、人はその感触を通じて動物との記憶を呼び起こす。これは幼児教育における手形・足型と同じ原理である——身体の形状が、存在の痕跡として機能する。
種を超えた「いてくれてありがとう」
Pearl Soapのメッセージ「いてくれてありがとう」は、もともと愛犬Pearlに向けられたものである。しかし、この言葉は種の境界を越える。
肉球石鹸を贈るとき、贈り手は「あなたがいてくれてありがとう」と伝える。受け手がその石鹸を手にするたびに、贈り手の存在を思い出す。そしてその肉球の形は、人間だけでなく動物の存在をも想起させる。
一つの石鹸が、人間と動物、贈り手と受け手、複数の存在を結びつける媒体となる。
「かわいい」の倫理学
肉球に対する「かわいい」という反応は、単なる感情的反応ではない。心理学者コンラート・ローレンツが提唱した「ベビースキーマ(Kindchenschema)」の議論を踏まえれば、「かわいい」という感覚は養育行動を促す生得的な反応である。
肉球石鹸が「かわいい」と感じられるのは、それが動物への愛着と保護の感情を喚起するからである。「かわいい」という感覚は、動物愛護の最も原初的な形態かもしれない。
6. 日本における動物愛護の法制度
日本の動物愛護管理法は、1973年に制定され、数次の改正を経て現在に至る。
法の理念
動物愛護管理法の第一条は、「動物の愛護及び管理に関する事項を定めて動物の愛護に関する国民の認識を深めるとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もって人と動物の共生する社会の実現を図ること」を目的として掲げている。
注目すべきは、「人と動物の共生する社会の実現」という理念である。これは動物を単なる管理対象ではなく、共に社会を構成する存在として位置づけている。
2019年改正と厳罰化
2019年の改正では、動物虐待に対する罰則が大幅に強化された。殺傷に対する罰則は「5年以下の懲役または500万円以下の罰金」に引き上げられた。これは、動物の存在が法的にもより重く認められるようになったことを意味する。
マイクロチップ義務化
2022年6月からは、犬猫のマイクロチップ装着が義務化された。マイクロチップは、個体識別のための15桁の番号を記録する。これは文字通り、動物の「身元証明」——存在証明——である。
法制度が動物の個体識別と存在証明を要求するようになったことは、動物を「代替可能な所有物」から「固有の存在」へと再定義する社会的変化を反映している。
7. 動物の存在証明を引き受けるということ
動物は、自ら記録を残すことができない。動物の存在証明は、人間が引き受けるしかない。
写真・動画——デジタルの記録
現代のペット飼い主は、膨大な写真と動画を残す。SNSには「#犬スタグラム」「#猫スタグラム」というハッシュタグが溢れている。しかし、これらのデジタル記録は、サービスの終了やアカウントの放棄とともに消滅するリスクがある。
名前を呼ぶこと——音声の記録
ペットの名前を呼ぶ声は、最も個人的な存在証明の一形態である。しかし、音声は記録されなければ消えてしまう。飼い主が「Pearl」と呼ぶ声が石英ガラスに刻まれたとき、それは1000年先にも届く存在証明となる。
遺骨・遺品——物質の記録
ペットの遺骨、首輪、お気に入りのおもちゃ——これらは物質として残る存在証明である。佐藤がPearlの喉骨を貝殻に入れて「持ち運べるお墓」を作ったのは、物質を通じた存在証明の最も直接的な形態である。
動物の存在証明は、人間が意識的に「引き受ける」行為である。写真を撮り、名前を呼び、遺品を保管する——そのすべてが、「あなたがいたこと」を未来に伝える営みである。
8. Pearl Soapと動物愛護の接点
Pearl Soapは、動物愛護活動ではない。しかし、その根底にある想いは動物愛護と深く共鳴する。
存在への感謝
動物愛護の根底にあるのは、動物の存在そのものに対する敬意である。Pearl Soapの「いてくれてありがとう」という言葉は、まさにこの敬意を表現している。
石鹸を受け取った人が、その肉球の形から動物の存在を想い、「いてくれてありがとう」という感覚を自分のペットや身近な動物にも向ける——そのような連鎖が生まれる可能性がある。
消費と記憶の循環
石鹸は使えば消える。しかし、使うたびに肉球の形に触れ、動物の存在を想う。消費されることで記憶が繰り返し活性化される——これは動物の存在を日常の中で持続的に意識させる仕組みである。
ワークショップと教育
Pearl Soapワークショップでは、参加者が自分の手で肉球石鹸を作る。この体験は、子どもたちにとって動物の存在を意識するきっかけになりうる。「なぜ肉球の形なの?」「Pearlって誰?」——そのような問いから、動物への関心と愛情が芽生える可能性がある。
アンバサダープログラムを通じてワークショップが各地で開催されることは、動物の存在に感謝する文化を広げることにもつながる。
9. 複数の視点——動物愛護とPearl Soap
動物愛護とPearl Soapの関係について、複数の視点から整理する。
功利主義的視点
シンガー的な功利主義からすれば、重要なのは苦痛の最小化である。Pearl Soapは直接的に動物の苦痛を軽減するわけではないが、動物の存在に対する感受性を高めることで、間接的に動物福祉の向上に寄与する可能性がある。
権利論的視点
レーガン的な権利論からすれば、動物は「生の主体」として固有の権利を持つ。Pearl Soapの肉球の形は、動物が「生の主体」であることを視覚的に想起させる。それは権利の主張ではないが、存在の承認の表現である。
ケアの倫理的視点
キャロル・ギリガンやネル・ノディングスの「ケアの倫理」の視点からすれば、道徳の基盤は抽象的な権利や義務ではなく、具体的な関係性における配慮である。Pearl Soapは、「いてくれてありがとう」という具体的な関係性の中での配慮を表現している。この意味で、Pearl Soapはケアの倫理を物質化したものと言える。
批判的視点
一方で、以下の批判も考慮すべきである:
- 肉球石鹸は「かわいい動物」に限定された表象であり、すべての動物の存在を平等に扱っているとは言えない
- ペットの存在証明への関心は、畜産動物や野生動物への無関心と裏表かもしれない
- 動物の「存在証明」を人間が代行することは、結局のところ人間中心主義ではないか
これらの批判は正当であり、Pearl Soapが動物愛護のすべてを体現しているわけではない。しかし、一匹の犬への愛から始まった想いが、存在への感謝という普遍的なメッセージに昇華されていることは認められるべきである。
10. トキストレージの位置づけ——動物の存在を1000年先へ
トキストレージは、人間の存在証明を1000年スケールで保存するサービスである。しかし、そこに動物の存在証明が含まれない理由はない。
ペットの記録を刻む
家族の記録の中にペットの写真を含める。家系図の一部としてペットの名前を記す。飼い主がペットに呼びかける声をTokiQRコードで刻む——これらはすべて、技術的に可能である。
Pearl Soapからトキストレージへ
Pearl Soapを受け取った人が、その想いに共感し、自分自身の大切な存在——人間であれ動物であれ——の記録を残したいと思う。その導線が、Pearl Soapからトキストレージへのつながりである。
消費される石鹸と永続する石英ガラス。一方は「今日の感謝」を、他方は「1000年の記録」を担う。しかしその根底にある想い——「いてくれてありがとう」——は同じである。
結び——すべての存在に「ありがとう」を
動物愛護とは、動物の存在を認め、尊重し、感謝する態度である。Pearl Soapは、その態度を一つの肉球の形に凝縮している。
石鹸を手に取るたびに、私たちは動物の存在を想う。使い切ったとき、石鹸は消えるが、その記憶は残る。そして「いてくれてありがとう」という感覚は、犬や猫だけでなく、すべての共に生きる存在へと広がっていく。
「国の偉大さと道徳的な進歩は、動物の扱い方で判断できる。」
——マハトマ・ガンジー(帰属)
もちろん、すべての人が動物を愛する必要はない。アレルギーや恐怖症、文化的背景、生活環境——動物との関係は人それぞれである。重要なのは、他の存在に対する想像力を持つことである。
Pearl Soapの肉球は、その想像力への入り口の一つにすぎない。しかし、一匹の犬への「いてくれてありがとう」から始まった想いが、人と動物の共生する社会への小さな一歩となるのであれば、それは一つの石鹸に込められた存在証明として、十分な意味を持つ。
参考文献
- Bentham, J. (1789). An Introduction to the Principles of Morals and Legislation.(邦訳『道徳および立法の原理序説』中央公論新社)
- Singer, P. (1975). Animal Liberation. HarperCollins.(邦訳『動物の解放』人文書院)
- Regan, T. (1983). The Case for Animal Rights. University of California Press.
- Nagasawa, M. et al. (2015). Oxytocin-gaze positive loop and the coevolution of human-dog bonds. Science, 348(6232), 333-336.
- Doka, K. J. (1989). Disenfranchised Grief: Recognizing Hidden Sorrow. Lexington Books.
- Lorenz, K. (1943). Die angeborenen Formen möglicher Erfahrung. Zeitschrift für Tierpsychologie, 5(2), 235-409.
- Gilligan, C. (1982). In a Different Voice. Harvard University Press.(邦訳『もうひとつの声』川島書店)
- 一般社団法人ペットフード協会 (2024).『令和6年 全国犬猫飼育実態調査』
- 環境省 (2019).『動物の愛護及び管理に関する法律の一部を改正する法律の概要』